論理も感情も使いよう

 理屈っぽいと嫌われる理由(個人的)まとめ id:matcho226:20080821
を書いた後で、自分の心の中で小骨が引っかかって取れない気がするのはなぜだろうと考えていた。

 特に、そこで言及した『「理屈で相手より優位に立とうという姿勢が癇に障る」のは納得できない』という考え方について、自分の中に矛盾があった。考えてみると、私も人に論理で言い負かされた後に「上から目線」になられた場合、感情的にむかついてしまう気がしたのだ。

 しかし私はそれ以上に、感情を前面に押し出してくる主張が苦手だ。そこに論理性が備わっていたとしても、感情的になられるとどうして良いのか分からず、頭がショートしてしまう。
 だから感情を否定するあまり『「理屈で相手より優位に立とうという姿勢が癇に障る」のは納得できない』と書いてしまったのだ。

 自分の中にある矛盾をどうすればいいのか悩んでいたのだが、偶然見つけた本の中で考え方のヒントを見つけることができた。



 なぜ、上司は部下の揚げ足をとるのか! ISBN:4833418193

 この本では「ハーマンモデル」という考え方を紹介している。ある人間が、脳の4カ所のうちどの部分を使うのが得意なのかでその人の特質が分かると言うものだ。
 その4カ所とは、
  A:大脳新皮質(左)→ 論理的に考える
  B:大脳辺縁系(左)→ 秩序に乗っ取って考える
  C:大脳新皮質(右)→ 感情や対人関係を軸に考える
  D:大脳辺縁系(右)→ 想像や好奇心を軸に考える
  
 得意な場所を使うのはストレスがたまらないが、苦手な場所を使うのはストレスがたまるそうだ。そして主にAを使う人と主にCを使う人、主にBを使う人と主にDを使う人は相性が良くないと説明されていた。

 思い返すと私はAを用いた生活が日常の中心で、BとDはその時々で使っているという感じだった。論理そのものを否定する感情優位の主張法を苦手にしているのは、私がCの部分をほとんど使っていないからということになる。

 これを読んだとき「そうか、世の中には脳のCの部分を主に使って生きるタイプの人がいるのか。」と唖然とした。

 たとえが良いのか悪いのか分からないが、私の一番理解できない現象は、仲間同士の派閥やグループ抗争で自滅する組織(スポーツチームなど)だ。なんでもっと割り切れないのかいつも不思議だった。なによりその感情優先の行動自体が自分には不快だったし、理解できないところだった。

 しかし、Cの部分を使って物事を処理しようとしている人にとって見れば、そのようなことも必然なのかもしれない。またこのタイプの人は情にもろく、仲間意識を持ってもらったときは大きな力になってくれると記されていた。(この辺が私の認識で足りなかったところだろう。)

 自分自身の傾向を分かった上で、「論理は必ずしも受け入れられるわけではないではない」ことを、頭の片隅に入れておこうと思った。



10/7 追記
内容的に関連していると思う記事(下記参照)を読ませていただきブクマコメをしたので、その記事のリンクを張らせていただきます。
はてな匿名ダイアリー - なんか無性に腹が立ったとき
http://anond.hatelabo.jp/20081007043326
(これってマナー違反でしょうか?ググってみたのですが分かりませんでした。もしマナー違反でしたら、どなたか教えていただければ幸いです。)