学校教育で日本経済を救えるか

大分の教育界がものすごいことになっているが、別の機会に記すことにする。

財務省の財政圧縮方針のため厳しいが、昨今教育の充実と予算拡充を求める動きがある。お題目は、学力向上。教育を充実させることで社会を豊かにすることである。

ではまず、豊かな社会とはどんな社会だろうか。大事だと思えるものを考えてみる。
犯罪が少ない。失業者やワープアが少ない。健康が脅かされるほど精神的に孤立することがない。子供がいて活気に満ちる。こんなところであろうか。

さて、小学校や中学校のテストの平均点がたとえば10点上がると、上記の何がどの程度改善されるのだろうか。冷静に考えれば、なんてことはない。


「テストの平均点が多少上がったところで、豊かな社会にはならない。」


経済力が下がって滅入っているところに、学力まで下がるのが怖いだけなのである。
日本人のちっちゃいプライドを維持したいだけで、それ以外の実利はない。


・・・昔は、学力の高い人が企業で活躍できた。そして彼らは経済発展に貢献してきた。しかし今は、残念ながら学力の高い人材が企業に入るくらいで企業が急成長したりはしない。時代が違うのだ。

まず、今までの経済成長で物質的な豊かさは満たされ、昔ほどモノを買ってもらうのが簡単ではない。それに輪をかけて雇用が不安定化し(これは企業の責任が大きい)、消費者の財布のひもが固くなった。

企業が新たな市場を開拓するような設備投資、革新(イノベーション)を行えば、経済停滞は打破できるかもしれない。しかし国語や数学のテストで70点の人間には革新はできないが、80点の人間なら革新はできるなんてことがあるだろうか。

与えられた枠内での競争には向いているかもしれない。しかし革新とは、勉強で言えばこれまでになかった教科書を創るようなものだ。クイズが得意で勉強のできるタレントが、面白い番組の企画を創れるとは一概にいえないのと同様だ。

まあ、今の大企業は短期的な業績だけに振り回されて、設備投資を行う意志は感じられない。これでは人々に革新を行うだけの潜在能力があったとしても、宝の持ち腐れである。


そもそも、社会インフラとしての小学校の役割は、識字率向上と簡単な計算能力習得、社会性(「人に迷惑をかけちゃいけませんよ」のような類)の育成が肝である。中学校の役割は、それらのレベルを引き上げつつ、平和と民主主義を大切にする人間を育てることである。


テストの点数は、企業の売り上げとは違う。それを同じ感覚で考えるからおかしなことになる。1点でも高くと血眼になるのは不毛である。

学力向上とは、物事の本質のように思えてその実、教育をその本筋から逸脱させる様に思えてならない。


以下は、企業が革新を行うことと、そのような成長を見込める企業にこれからの人が関わるために必要なことを書いた方のエントリーです。学校教育はあくまでベースであり、個人がそこからさらに成長するためにはその殻を破らねばならないことは明白です。
http://d.hatena.ne.jp/ooze-flash/20080428/1209400977
http://d.hatena.ne.jp/ooze-flash/20080427/1209303909