大分の教育汚職から学ぶこと

 ある程度語り尽くされている感があるが、まず問題点をまとめる。

  • 金銭を受け取り、特定の人を優遇した。(しかもその多くは学力上問題がある。)
  • 優秀であるがコネのない人材を、テストの点数を操作することで排除した。
  • 校長(教頭)職をカネで買う慣習をつくり、教育に熱心になることより権力に取り入るものを優遇する風土を作った。
  • 教師の世界はコネとカネであることを内外に示し、著しい社会不安に陥れた。
  • 教師の社会的立場を貶めることで、特に、健全な教師の教育活動に大きな障害を与えた。

 証拠隠滅や時効の関係もあり、不正をした教師を過去にさかのぼって処分を下すことが非常に困難であることが混乱に拍車をかけている。一部には、不正をした教師が自ら名乗り出ることを求める声があるが、これは自らを社会的に抹殺することを意味するため、冷静に考えれば非現実的と言わざるを得ない。国の赤字を憂い、自ら会社をたたむことを土木工事会社に期待するようなものだ。

 だから、警察の力で今回の不正を徹底して暴き、関係者に責任を取らせることが必須である。さらには再発防止のためにありとあらゆる方策を行うべきで、それなくして教育の信頼回復など絶対にあり得ない。


 つぎに、再発防止の方策を考える。

 下策(必要最低限)

 まずこの不祥事のけじめとして、教育委員会の任命を行った大分県知事は、現教育委員会全員を即刻更迭する。知事本人の責任も何らかの形で取るべきであると考える。

  • 試験の透明性確保

 試験問題、解答、得点、合否、解答用紙の全面開示。


 中策(手前味噌で恥ずかしいが)

 告発しにくい環境が収賄を行いやすい環境を作っている。現状では告発がばれれば教員の世界から村八分にされ、自分が教職にとどまることが難しく失業者となるリスクが高い。社会の不正を暴いた人間が社会から見捨てられるのはせつない。組合、市民団体、警察などがそれぞれ、告発者が法的、社会的に尊重され、不利な立場にならないようケアをする組織を作る必要がある。

  • 教員採用制度の法改正(国会)

 教員免許を持った人間が、県教育委員会の試験を受け採用される、という一本道を変える。これは国会の役割であるが、ではどのように変えるのか、ささやかな私案を提示したい。
 現在、教員を採用する権限は県教育委員会にあり、その採用で教員の質が落ちて実害を被るのは現場の学校である。これでは、「多少成績の悪い人間でも、採用して後は現場任せ」という甘えが出やすい。人事権が現場に近ければ近いほど、戦力にならない”利権持ちダメ教員”を採用することはためらうはずである。
 次に、教員免許を持っていないが、学校教育を任せられる社会人の中途採用(現在はほぼゼロ)を促進すると共に、他業種との人材交流を加速させ、数年間の出稼ぎ研修から、教師の本格的な他業種への転職への道を開く。現在、教師は他の仕事に転職できるという認識をあまり持っていない。これが教師内の結束を悪い意味で固め、ひいては教師と世間を断絶し、教師で一生を生きねばならぬとの束縛から、教師ムラ社会内の悪い慣習を社会正義より優先させてしまう空気を生む。しかし教師をやめても他の仕事があるという前提にたてば、多少告発もしやすくなり、カネにまみれた人間の言うがままに卑屈になる必要がなくなる。職場の健全化に寄与する政策だと思われる。
 なお世間には、教員の転職の斡旋を行う機関を作るのは、ある種の特権を与えることであり、不公平と考える人もいるかと思う。それは、現状のような教師の不正を育てやすい体制のままにするのか、それとも不正による社会的損失の重さを鑑み、特権を与えるのかを選択すればよい。

  • 教員の更迭も含めた給与体系の抜本的見直し

 これは必要以上に競争をあおり、職場内をぎすぎすしたものに変えることが目的ではない。そもそも、公務員に就職している時点で彼らは基本的に安定志向の人間であり、あおることでパフォーマンスが劇的に向上するとは思えない。またデータがないのがつらいところだが(私はあくまで素人なのでご容赦願いたい。)多くの教師は平均的な仕事はそつなくこなせる力を持っているであろう。それよりこの仕事の問題点は、そんな平均的力量の教師でも対処が難しい問題を多々抱えていることにあるのであって、モンスターペアレンツの対応に失敗するとか、いじめの問題がうまく収束しなかったことをクビの理由にするのはいささか酷であり、そんなペースで教員をクビにしていったら人材確保もままならなくなるであろう。この案は、後釜がいくらでもいることが前提の暴論で、この様な認識を改める意味でも、先に提案した「学校と他の職場の人材交流」は意味があるといえる。
 話がややそれたが、私は、教員の評価制度は、「あなたはどちらかというと教師向きかそうでないか」を緩やかな給与差によって認識してもらうことにより、転職への気持ちを促す程度が望ましいと考える。そしてここからが大事であるが、ごく少数の(と信じたいが)、明らかに不適格者と言わざるを得ない教師を更迭することを制度の中心に据えるべきである。明らかに指導する学力に欠ける者。立場を利用し生徒の人権を蹂躙する言葉をはき、いたぶる者。著しくサボタージュする者。理不尽なことを強要し、権力を悪用(傷害、猥褻、脅迫など犯罪まがい)する者。特定の(新興)宗教や政治思想を生徒に強要する者。これは、生徒の告発などから積極的に監査を行い、事実を認定した後管理職権限で教壇から追い払うべきである。


 長くなってしまったが、日本社会を根幹から揺るがした事件であるだけに、マスコミや井戸端の感情論では何も解決しないと思い、個人的に考えを巡らせてみた。正直、第二第三の大分が出てくるのは覚悟していなければならないと思う。そしてだからこそ、子どもへの被害をできる限り食い止めるため、一人一人が市民として責任を全うする必要が、大人にはあると思う。


参考にさせていただいた記事のリンク先です。

くまくまことkumakuma1967の出来損ない日記-法務省も政治主導という事だろうか
http://d.hatena.ne.jp/kumakuma1967/20080712/p1
404 Brog not found - News - [大分・教員採用汚職] - 「民間では常識」じゃないってば
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 どちらも縁故採用の是非を考察されています。私の考察は縁故採用をしないことを前提として書いてありますが、確かに(今回の件は論外だが)縁故採用そのものの良い点を洗い出しておくことは大切かと思います。