格差を広げる力の強い日本の所得税

 がんばった人間が税金をたくさん持って行かれるのはおかしい。そんな世論を後押しに、自民党は中曽根内閣から都合7回、24年にわたって所得税最高税率を引き下げてきた。このことがそれほど大きく批判されることがないのは、ある程度国民の間にコンセンサスがあるからだろう。

 常套句はいくつもある。
 1:日本は欧米に比べて、高所得者が払う税金が高すぎる。
 2:高い税金を払わされるなら、高所得者は海外に移住してしまうだろう。
 3:資本主義社会なら、成功者は多くの所得を得られて当然である。
 4:日本は共産主義国家ではない。

 しかし、この主張には大きく欠落している事柄がある。アメリカの寄付制度の充実である。


(以下、大変詳しく書かれていたエントリーです。)
中岡望の目からウロコのアメリカ - アメリカの慈善家たちー日米の違い
 http://www.redcruise.com/nakaoka/wp-trackback.php?p=36
gooマネー 第13回:日本の寄付金がアメリカの100分の1の理由は?
 http://money.goo.ne.jp/column/child/08/0314.html


 1年間に集まるアメリカの寄付の総額は東京都の税収4つ分。約20兆円である。事業家たちの慈善活動が各地のNPOを始めとする公共的な活動を大きくサポートしている。詳しくは上記リンクを参照していただきたいが、背景はアメリカに根付くキリスト教の精神である。


 対する日本は、1兆円にも大きく届かない。規模が、公的な意味合いが全く違う。


 なぜ日本では寄付が少ないのか。まず日本では寄付をする際にも税金をごっそり取られる。慈善事業などに寄付するなら国に寄こせというわけである。完全に官尊民卑の発想である。
 次に、キリスト教では金の亡者になると地獄に堕ちてしまう。しかし日本人は信心深くないので、得た金は自分のために思う存分使えるのである。

 さらに(ここは私の想像だが)日本人の成功者の多くは、自分の力・自分の努力で成功したという思いが強すぎるので、寄付という発想にならないのではないだろうか。「自分の力で稼いだ金を、自分のために使って何が悪い。」と考えているのだ。もしそうだとするなら、私は日本人の心の貧しさを嘆かずにはいられない。

 一つの成功の背景には、本人の資質や努力の他に、時勢(本人の力と時の流れがかみ合う)や、本人のおかれている境遇など、多くの要素が関わってくる。抽象的ではあるが、これは物事の本質であろう。伊達政宗徳川慶喜など、才能に恵まれながら時の流れに恵まれなかった人間は星の数ほどいるであろう。


 福沢翁の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」とは確かに理想ではあるが、この言葉と現実との間にある隔たりには、私は思いを寄せずにはいられない。
 
 日本は機会の平等が高水準で達成されているとは言い難い(この点はアメリカも同様であるかもしれないが)。成功者が、自分と同等の能力を持ちながら、機会に恵まれなかった人間がいることに思いを寄せることができない日本は、社会的な悲壮感や無常観を強めているように思える。慈しみや仁の心がなく殺伐としている。


 そして今の日本は、格差の拡大がさらに階層の固定化へと流れを強めている。


 日本人は、形上は資本主義社会を目指しては来た。しかし、実は西欧社会において資本主義と共に深く根付くキリスト教の精神までは受け入れなかった。

 そうであるのならば、私は所得税について、冨の再分配についてもっと深く議論を重ね、税率を上げるか寄付制度を構築させるか、どちらにしてももっと血の通った社会を作り、子どもたちに誇れる日本にしていくべきだと思う。寄付という一面だけを見ると、アメリカの資本主義より日本の資本主義の方が、弱者に冷たいのは間違いがないのだから。


上記リンクの他、参考にさせていただいたエントリーです。

池田信夫 blog - 資本主義という奇蹟
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a02573887ab466cdeb6f8f5ee1a11447
寄付について考察されたエントリーではありませんが、とても勉強にさせていただいた記事です。資本主義の本質として「神の前での孤独な個人」というキリスト教的価値観が大きいとの考察は大変刺激的です。

折々の雑念 - 税制の抜本改革
http://uonuma-sanzan.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_168a_1.html
貧困な人々に目を向けるだけではなく、高所得者への減税が果たして政策的に上なのか下なのかという疑問も提示しています。