赤塚不二夫さんの死
私は、赤塚不二夫さんのことをそれほど知らない。
天才バカボンはアニメで良く見た。ひみつのアッコちゃんとおそ松くん(作品)より、チビ太やハタ坊、警官(キャラ)のインパクトの方が印象に残っている。もーれつア太郎のことはよく知らない。なにより原作は見ていない。
それでも、訃報を聞いたときは胸がざわついた。自分は大切なことを何か知らなかったのではないかという感覚だ。
アルコール依存症で苦しみ、脳内出血で植物状態に陥りながらも六年間闘病生活を続けたそうだ。すさまじい晩年だ。
タモリさんの弔辞で始めて知ったこともたくさんあった。
- タモリさんの様な人ですら仰ぎ見るような存在であったこと。
- 他人の人生をまるごと支援したあふれんばかりの懐の大きさ。
- 麻雀をツモでしか上がらなかったという異常なほどの優しさ。
- 強烈な反骨精神を持つ反面、全ての人を受け入れるがために騙され傷つき、それでも相手を恨む言葉を口にしなかったこと。
- そして、赤塚さんの人生哲学を一言で表すあの言葉。 「これで、いいのだ。」
タモリさんは多くの人が胸打たれる弔辞を、白紙原稿で8分間赤塚さんに捧げていた。そらんじると言うことは、タモリさん自身にそれだけ「赤塚不二夫」が刻まれていたのだろう。感謝しきれないものを赤塚さんから頂いたことが痛いくらい伝わってきた。
赤塚さんはタモリさんに「何だよ、お前かしこまったこと言ってるけど白紙じゃねえか。」とつっこんでいただろう。そしてタモリさんは赤塚さんから受け継いだ、笑いを通じ人の心を明るくする精神を、これからも活躍することで応えていくのだろう。
壮絶な闘病生活を知らず、私は赤塚さんの苦しみに心を沿わせることはできなかった。
それでも、赤塚さんの生き様を後から知ったことで、勇気を与えてもらった。
当たり前だが、人を怒らせたり悲しませたりすることは簡単で、心から人を笑わせることは簡単ではない。その「人を笑わせる」ことにチャレンジし続けていたこと。
作品の中に、拳銃を乱射する警官、バカ田大学、テイノウ義塾大学など体制を皮肉る笑いを痛快に取り入れていたこと。(おそらく赤塚さんは先駆者的で、保守的な人や組織からは認められることも少なかっただろうし、不器用なために、理不尽に傷つけられもしただろう。)
「さよオナラの、コニャニャチハなのだ。」
「意見が食い違っても、また話そうよ。」というのをこんなにも簡潔でユーモアあふれるいいかたで表現してくれた。
話をはちゃめちゃににひっかきまわしながらも、
「これで、いいのだ。」
と、最後には7文字で全てをひっくるめ収めてしまう大きさ。簡潔にしてこれ以上ない人間賛歌。
私は赤塚さんのことをよく知らない。
それでも。タモリさんの弔辞を聞くことができた。
私は時代を明るく照らしてくれた赤塚さんのことは忘れずに生きていこうと思った。
参考: izaニュース 赤塚不二夫さん葬儀 タモリさんの弔辞全文
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/167593/