不倫における社会的制裁、男と女の違い

 ある男と女が酒に理性を奪われ、夜道に消えていった。男には妻子がいた。女は一度スキャンダルで仕事を失うも、多くの支援者のサポートに恵まれ再起を図ろうという矢先であった。ゴシップは全国を駆けめぐった。

 男(二岡智宏)は頭を丸め謝罪会見を行い、すでに仕事に復帰している。

 女(山本モナ)は自粛する形で現在仕事を失ったままである。

 この違いは何だろうか。まずできるだけ一般論として考え、次に付加的要素として本人の立場をふまえて考えてみたい。


 まず、男女が関係を持つことに対する責任は双方で等しく分かつというのは、恋愛の大原則であろう。
 しかし現実は(そこに遊びの要素が大きくなればなるほど)世間は男に対して甘く、女に対して厳しい。
 男は(今回は頭を丸めたが)禊ぎを済ませることで(世間から)水に流してもらえる。「魔がさしたんだろう。しっかり仕事に精を出せよ。(今度やるときはうまくやれよ。)」と言う程度だ。
 これに対し女への印象は決してポジティブとはいえない。「酒の力で男をそそのかし、淫乱で穢らわしい女だな。」とまでは行かなくても、不特定の異性と関係を持つことについて、女に対して世間は寛大さを持ち合わせてはいないだろう。


 次に、誰に損害を与えたかについて。不倫した方(今回は男)は、信頼を裏切り家族を大切にしなかったという意味で、妻子に対しての責任が大きい。
 不倫をさせた方(今回は女)は、相手の家族の平凡な日常や幸せを根底から覆し踏みにじるという意味で、やはり相手側の妻子に対する責任が大きい。
 この場合どちらも相応の責任を負っているが、既婚者はこれからも十字架を背負うのに対し、独身者にとっては自分の恋愛史のほろ苦い一場面でしかないであろう。
(しかしこれとは別に、女は結果的に一緒に仕事をしていたスタッフの信頼を大きく失った。しかし理由が後述のように、今一しっくりとこない。)


 最後に、女の仕事がタレント兼キャスターであったことについて。(私は破綻していると思っているが)報道とは国民の知る権利の代弁者であり、民主主義を支える意味で公の性質を持つものであるから、それに携わる人間にはそれ相応の振る舞い(明文化されないモラル)が求められるという建て前がある。しかし今回彼女は、キャスターとしての仕事のみならず、タレントとしての仕事も失った。
 そもそも役者や芸人と言ったタレントは、ルーツをたどっていくとアウトサイダー的要素が強く、モラルについても一般的な世間よりは緩い慣習を持ち合わせていた。現在大御所と呼ばれている人たちも芸の肥やしにするべく、色恋沙汰は言うに及ばず、それなりに破天荒なことをやってきたはずである。後輩がホテルに行ったぐらいで袋だたきに遭い干された現実を消化できないでいるだろう。

 
 さて、ここまで整理して、女の「火遊びとしての不倫」という行いに対する「タレント活動も含めた無期限の自粛」という処遇はフェアであるだろうか。なぜテレビ局に苦情が1000件超も届く一方、男は仕事に復帰できているのだろうか。

 
 

 今の日本社会はどちらかといえば、孤独でいるより恋愛にいそしむことが奨励されていると言えるのではないだろうか。男女問わずイケメン・美女であることが社会的ステータスを高める。非モテは蔑まれ、モテは勝ち組の大きな要素でもある。生活上キリスト教社会におけるモーセ十誡のような縛りはなく、みんなで楽しみましょうと、合コンなど自由恋愛市場に既婚者がもぐり込むことにも寛容であろう。

 ということは、「何より家庭を大切にする」ことについてコンセンサスが大きいとはいえないのではないだろうか。仕事だと言えば、半分遊びでも夜遅くまで帰らずに多くの家事育児を依存することが容認され易い。自分の手を煩わせることなく、金銭と代替し様々な教育サービスを受け取ることができる。


 つまり「自由」を「何でもあり」だと解釈しておきながら、一方では小さな事柄に難癖を付けることで人を陥れ、相対的に自分を高めてしまおうという、非常に世知辛い社会にしてしまっているのではないだろうか。(大人社会がこれで、子どものイジメ問題を語ることなどできるのか?)


 今回の山本モナ活動自粛について、少数派である擁護派のほとんどは男性であるらしい。モナの(人間として&女性として)の魅力がそうさせるのかもしれない。対して女性から擁護の意見は聞かれない。二岡智宏が許されていることに不条理を感じるより、モナが擁護される事に対する嫉妬が勝ってしまうのかもしれない。


 私は行い自体は悪いことであったとは思うが、世間の批判はフェアであるとは思えない。少なくとも、不倫が社会悪であるという明確なコンセンサスがあると言うよりは、建て前と本音のダブルスタンダードの罠にはまった感が強い。
 

 個人的には、もっと家庭のあり方を考え、家庭に対する価値を重要視する社会となり、その結果今回のようなことが男女双方にとってまずいな、やるべきではないなと普通に考えられる社会になって欲しいと願っている。(わかりやすく言うと、二岡側にとってもう少々厳しい社会)
 それと共に、昨今の女子アナなどのように、クイズなどで一般常識の欠落を露呈しつつ、容姿でそれをカバーするという、男の視点から性的に心地良い、コンパニオン(お飾り)として存在意義を求められるのではなく、普通に男と対等な立場の仕事を行える女が評価を受け活躍していく社会に成熟していきたいものである。(当然、責任もそれなり。とはいえ、今の日本は組織のトップ(主に男)が責任逃れをするさもしい社会であるから、道は険しくはある。)



 えっ?お飾りの方が儲かるからコンパニオンで良い?そうですか・・・でも、酒とパパラッチには充分気をつけてくださいね。