体罰はいけないと言うけれど

※結構主観に依存する文章になってしまいましたので、それでも結構という方のみ、おつきあい下さい。


体罰を理屈でどれだけ正当化できるかやってみようと思う。


まず体罰を定義する。

体罰:身体的、精神的苦痛を伴う全ての行為。
例:ゲンコツ。お尻ビンタ。5分以上の正座。5分以上の起立。廊下に立たせる行為。グランドを走らせる等の罰。掃除罰。長時間拘束しての居残り勉強。

次に、絶対に体罰はいけないという考えの主な理由をまとめてみる。(参考はhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1026/OSK200810260045.htmlの以下の方々のブクマコメです:解釈の誤解があるとすれば私の責任です。)

・”しつけ”は大人の横暴を隠すための方便。(id:y_arimさん)
・力で人間の心を良い方向に導くことなどできないし教育的効果など期待できない。むしろDVなどトラウマになる問題の方が大きい。(id:mojimojiさん id:kurotokageさん id:eastofさん)
・教師が恣意的に用いることの危険性。適切に運用することはほぼ期待できないし、ひどいときには教師の”俺様ルール”に従わないという理由で暴力を振るわれててしまう。(id:furukatsuさん)
体罰=暴行、傷害(id:aya_momoさん)
・子どもに暴力をふるって良いなら大人にも振るって良いことになる。(id:hidemaruさん)
・子どもは理性的な対話が困難であるという理由なら、知的障害者にも暴力を振るって良いことになる。(id:tztさん)


それでは反論を試みる。おおざっぱに考えるのでつっこみどころ・反論が行き渡らない取りこぼしが多々あると思うがお許し頂きたい。(idコールしておいてすみません。)


1,社会生活を営む上で大人が我が子に許すべきではない(と私は考える)事のなかで、思わず手が出かねない、感情的になりそうなことは何か考えてみる。考える目的は、最低限の”しつけ”とは何かを探ることである。年齢は幼稚園から小学校低学年くらいを想定している。

・公共の場所でドタバタと騒ぎはね回る、落書きなどのイタズラをする
・ものを粗末に扱い、投げたりして壊す
・茶碗を持たずに、顔を近づけ犬猫のように食べる
・いけしゃあしゃあとうそをつき、人をだます
・人さまのものを取る、ぬすむ
・悪いことをしてもあやまらないでふてくされる
・みんなでよってたかってカメをいじめている(うそです。年下の子を泣かしたときです。)
・(id:takanofumioさんのご指摘による追記:人を殴ったり傷つけたとき)

いわゆるジコチューである。


2,付け加えて、学校で先生が許すべきではない事を考えてみる。

・授業中座っていられず、歩く、しゃべる、教師の指示を聞かずに好き勝手なことをする
・(勉強)道具を粗末に扱ったり、こわす
・人さまのものをとる、ぬすむ、傷つける
・1で述べたことおおむね全て
・これらを繰り返す

※ちなみにこれらがいけないことだという「常識」を疑う方もいると思う。疑うことを否定はしないが、少なくとも私は、この様な行動を頻繁に行うお子様と自分の子どもを付き合わせようとは思わない。

※上記の理由に限りという条件がつけば、手を出すことはDVにはならないと思う。DVとは殴られる理由が殴られる人には分からず、常に殴られる境遇に置かれているという意味と捉えているので。
(ただid:furukatsuさんの言う、暴力のマネジメントの困難性には反論できないのは認めます。)
革命的非モテ同盟 暴力のマネジメントと体罰や暴力的行事の問題についてhttp://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20081027/1225045176


つぎに、このような子どもの行為を説明や叱りとばすだけで直せるか直せないか。仮に直せないときはそれで諦めるか。

それともう一つ。ひっぱたくことで、子どもは自分が悪かったと思ってくれるのかくれないか。


よくよく考えてみたが、これについてはケースバイケースとしか言えない気がする。
確かに、叩くことでは絶対に更生しない子というのもいそうな気はする。しかし、子どもによっては、ひっぱたくことで子どもが過ちを認めてくれるという可能性がなくはないとも思える。そうなるとショック療法にかけてみたくなる誘惑はでてくるし、そこでも手を出さないというのは、更生の機会をみすみす逃すという葛藤も生まれるのではないだろうか。
例えるなら外科手術か投薬治療かを選択できるというときに、外科手術を始めから放棄する積極的理由はあるだろうかということである。



最後に、体罰は暴行傷害の類であるからいかなる理由があろうとも認められないという事について。


これは逆質問になってしまう。
まず、今回挙げた子どもの反社会的行為は窃盗・暴行などに入るものも数多くあり、それは児相などに送るという考え方も出てくると思う。(現実は穏便にすませたいという圧力が高いため難しいだろうが)

ただ、騒ぐこと・食事のマナー・勉強しないこととそれに伴う抵抗や反発は、犯罪には入らないため、当事者で対応することになるだろう。
そこで、本人が行動改善の意志を感じていないときに、いわゆる罰に相当する精神・肉体いずれかに苦痛となるもの(体罰)を科さないで、どのように子どもに自覚を促すのであろうか。または、体罰を行うくらいなら自覚を促す必要はないということなのだろうか。


asahi.com橋下知事「手を出さないとしょうがない」 体罰容認発言 - 政治
http://www.asahi.com/politics/update/1026/OSK200810260045.html


今回の橋下知事の発言は、目的が”大阪の子たちの学力の向上”、手段が”場合によっては体罰も辞さない指導”である。


確かに勉強しないこと全てを自己責任という形にすれば、勉強させずに放っておくという選択もあり得るかも知れない。周りの邪魔になる場合は追放(出席停止)も良いかもしれない。学校に行かなくてもやる気になれば独学で知識を身につけるだろう。ただしこれでは、橋下知事の教育目標(大阪を日本一学力の高い県に)というのは達成が難しいだろうとは思う。橋下知事はあくまで小学校・中学校を終了する段階での学力にこだわっているので。
(大ざっぱに言えば、教師が品行方正でない子どもに必要以上に関わらなくてもいいことになるので、単純に総体的な子どもたちの勉強時間・反復回数が減ることが予想される。)



ひととおり考えたことを書いてみた。読み返してみると裏打ちされる数値がないので、非常に客観性に欠けるものになってしまった。最後まで読んでいただき期待外れだった方には申し訳ありません。ですが少しでも自分自身考えを深めたい思いはあります。ご意見がいただければありがたいです。



追記:最近体罰について考えさせられるきっかけになった記事にトラバしておきます。
Paradigm Shift Design 体罰と個性と
http://d.hatena.ne.jp/kent013/20081024/1224867813
c/fe 体罰の是非
http://d.hatena.ne.jp/uzulla/20081025#p1