体罰反対を表明するために避けては通れない話

前記事:体罰はいけないと言うけれどhttp://d.hatena.ne.jp/matcho226/20081027/1225111422にてブクマ・ブクマコメしていただいた方々のおかげで考えを深めるきっかけを与えていただいている。本当にありがたい。
前回言い足りなかったことを書いてみようと思う。ちょっと長い追記と思っていただきたい。


今回も体罰を(消極的に)容認する立場で話を進めるが、次のことについては認めた上であることを断っておく。

・個人の判断にゆだねられる暴力は拡大していく性質を持つ
体罰は対象者への憎しみを隠すための方便に利用することができる
・明らかな暴力行為すらそれを繰り返すうちに、それが躾や教育行為であるかのような自己暗示を自らにかけていき正当化してしまう危険性がある


書くのは大きく2つである。

1.体罰を用いずとも子どもを導く手法がある中で体罰を採用する積極的理由はないのであって、その意味で体罰を行うことは教師の怠慢であるのか。
2.ある美談について。

※前回は”しつけ”に焦点を当てるために年齢の低い子を想定して論じたが、今回は年齢を高校生まで拡張する。



1.について。以下引用。
モジモジ君の日記。みたいな。 - 体罰とは教師の無能さの証しである
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20050929/p1

断固として、体罰は認められない。それは肯定されるべきではない。一応、僕なりに体罰の定義をしてみると、「指導に従わせるを目的に肉体的苦痛を加えること」である。殴る蹴るは当然のことながら、正座・廊下に立たせる、あるいは授業中トイレに行かせないといったことも含まれる。それにしても、「指導に従わせるために」行使される暴力とは、実に倒錯した話である。指導とは、私が正しい見解だと考えるものを生徒に示し、その理解をきっかけとして従うように促すことである。それは本質的に言語的コミュニケーションであり、その「意味」が理解されなければ指導にはなりえない。それを拳で伝えることができないとは言わない。しかし、それは言語によって伝達可能な事柄である。なぜ拳の出る幕があるのか。

この疑問について、連続で恐縮だが対照的な考え方を引用させていただく。
c/fe 体罰の是非
http://d.hatena.ne.jp/uzulla/20081025#p1

体罰はその手法の中でも一番コンビニエンスな方法だと考えている、特に時間と効果において。
一人の子供に1日かけて諭すと他の子供は放置になるだろう、一人の子供にげんこつ一発5分ですめば、他の子供に時間がさけるだろう。
親はしつけ以外にも子供のために限ってもやらなければいけないことがやまほどある。
しつけも作業なので、効率的であるという事をまったく無視することはできないのではないだろうか。

教育の本質的成果が現れるのは子どもが社会人になる20年後、30年後であろう。
そのような長期的スパンで考えれば、体罰で質さず時間をかけてその子に寄り添い語りかけ、3年後かかろうが5年後かかろうが自分を見つめ直してくれるのを信じることが教育の王道だろうと思う。


しかし現実の教師に与えられている条件はそんなに甘いものではないのではないだろうか。
今回橋下知事が学力向上を掲げたが、実は文科省とて大きな方針は変わらない。ゆとり教育を失敗と位置づけ、学力向上へと舵を切っている。
橋下知事の発言でも分かるように、行政は「時間がたたないと教育の成果は分からない」というのは言い訳と捉えている。小学校6年生の時点・中学校3年の時点でどれくらいの学力が備わっているのかにこだわっている。子どもが勉強する意義を自ら見いだすまで待つなどと言う悠長なことは考えていない。
子どもの学力を上げなければダメ教師。子どもの得点力を向上させる教師が優秀な教師である。そうやって行政が教師を評価していく。ゆとり教育を拒んだのは世論である。


教師が担任として関われる期間は基本1年。評価を受ける単位も1年。子どもの持つ闇が全治1年以上だったときに教師はどうすればいいのだろうか。効率的な荒療治に賭ける心理は生まれないだろうか。


もう一つ。教育には即時性効果というものがある。悪いことをしたらそのときに指摘をしなければ教育効果は得られないというものだ。
一つの問題行動について教師が子どもに説明を行い、よく考えて欲しいと言うとしよう。子どもは1分後は別の刺激により別のことを考え始め、前のことは忘れるかも知れない。それしか考えないように子どもを隔離するには、多大な労力がいる。クラスの子たちが問題を起こすたびに一つ一つそのように対応することが物理的に可能なのだろうかという問題が出てくる。



2.について。
体罰は絶対に認められない”という価値観から教師を遠ざける一つの教育の成功例を考える。
スクールウォーズのモデル・山口良治さんだ。
このドラマは実話を元につくられた話で、多くの人間が山口先生に教わることで人生を切り開き成功している。山口良治さんの実績は教育のひとつの模範と成り得るし、カリスマ性も備わっている。彼の実績を否定することは、彼の多くの教え子の成功を否定することにもつながるのでそれほど簡単ではない。
そして言わずもがなだが、山口先生は彼なりのTPOで教え子に手をあげている。


私個人は76世代と言うこともあり、多感な時期にあのドラマを見、涙を流した記憶がある。そしてこの涙は多くの日本人に共有されている。肯定・支持されているのである。プロジェクトXに彼が出演したときには大きな反響を呼んでいる。
参考:タケルンバ卿日記 - 本日のYouTube泣き虫先生に涙 http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080529/p2
(動画の冒頭でリアル山口先生が生徒の頭ををひっぱたくところ有。)
信は力なりisbn:4845105209
劇場版スクールウォーズasin:B000K4WTNM

山口先生はレアケースなのかも知れない。天才的に暴力のマネジメント能力があるのかも知れない。いや、実は見えないところで精神的にトラウマを受けた生徒がいるのかも知れない。
しかし、山口先生は一つの教育の理想として輝きを放っており、それを目指す教師は体罰を教育手法として用いることは想像に難くない。


山口先生の成功は美談として語り継がれていく可能性がある。たった一つの例ではあるにせよそれが人々に与えた影響は大きい。体罰を否定するならば山口先生の教育は認めるわけにはいかないだろう。



追記:記事を書く参考にさせていただいたリンク先です。
革命的非モテ同盟 - 暴力のマネジメントと体罰や暴力的行事の問題についてhttp://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20081027/1225045176
前記事でもリンクを張りましたが、大変勉強になった記事です。


ohmynews - 「全裸ランニングは強要ではなかった」と元部員
サッカー部顧問の自殺は新聞報道が原因説?
http://news.ohmynews.co.jp/news/20080129/20252
個人的には忘れられない一つの悲劇。


以下は最近起きた体罰関連のニュースや、そのコメント記事
asahi.com - 橋下知事「手を出さないとしょうがない」 体罰容認発言
http://www.asahi.com/politics/update/1026/OSK200810260045.html
毎日jp - 体罰:男性教諭、小2男児に 床に頭たたきつけ軽傷−−東松山大岡小 /埼玉
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20081024ddlk11040171000c.html


good2nd - 殴るな!
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080711/1215789875
遅刻83人にゲンコツかました先生のニュースに対するコメントです。