3日遅れの「敗戦記念日」に寄せるエントリ

 いつもは自分が世の中で?と考える部分について書くことの多いこの日記だが、敗戦に思いをはせ、戦前の日本と今の日本について少し思いを巡らせてみたい。


 大量の赤字国債を抱えているとはいえ、今の日本は世界の中で指折りの豊かな国に発展することができた。
 焼け野原で都市が壊滅し、これといった資源もなく、人口過多でその日の食うものにも困っていた国がである。
 それが一時とはいえ、戦勝国アメリカの経済を大いに脅かし、そのプライドをズタズタにするほどの勢いで復興した。


 戦前の日本経済はどうだったであろうか。今家庭にある物のほとんどが、何にもなかった。松下幸之助さんの二股ソケットが大きな感動を与えてくれた時代だ。東名も、トランジスタラジオも、ボンカレーもない。ましてや霧ヶ峰エスティマハイブリッドも、はてダもgoogleストリートビューも、iPhonePSPもない。今ある物がほとんどない。
 食べ物は配給制だ。腹が減ったからコンビニに行こうと深夜にふらつくどころか、そもそも金がないし、あっても売ってもらえないことすらあっただろう。北朝鮮と何が変わるのだろう。
 それが今や世界中から食料を買いまくり、マック、牛角、スシローに幸楽苑と家族で出かけ、貧しい国々を尻目に多くの食べ物をゴミとして捨てている。正に隔世の感だ。


 今は言論の自由が大部分保障されている。いくら福田総理の悪口を言っても、牢屋にぶち込まれる事はない。しかし戦前、体制批判は非国民とののしられ、人権もへったくれもなかった。くどいが、北朝鮮と何が変わるのだろう。


 全人口に対する選挙権を持つ人の比率は、第一次世界大戦後に20%に引き上がったものの、それまでは約5%。この国に市民はいなかった。いたのは権力者と臣民だ。

 赤紙が来れば戦場行きだ。連れて行くだけ連れて行きろくな補給もしてもらえず衰弱し犬死にした兵士。圧倒的な戦力の差を感じながら神風特攻隊で散っていった若い命。竹槍で一億総玉砕の一歩手前までいった。


 歴史のifを考えることは必要かもしれない。しかしそれと同じくらい、現実を見据えることも大切だろう。
 現実。人権が等しく認められ、つっこみどころは多々あるが、平和国家として国民が戦争に参加せずに繁栄を築き、63年目を迎えることができた。
 そして悲しいことに、それは僕たちの先人(決して権力者側ではない)が、同胞200万人の屍の上に勝ち取った日本国憲法のもとに築いたものなのだ。

 
 忘れてはいけないこと、振りかえらなければならないことを知ってこそ、未来に向かって歩いていけるのだろう。


 僕たちは、敗戦をまだまだ振り返り足りないのかもしれない。



※このエントリは以下のエントリを参考に書かせていただきました。

今年のエントリ

 ぢーぢの日記 - 敗戦記念日
 http://d.hatena.ne.jp/ikutayasuhiko/20080815

1年前のエントリ

 思考の種子 Une germe de la pensée - 敗戦記念日に寄せて
  http://d.hatena.ne.jp/ohsuminaoto/20070815/1187170507
 
 整腸亭日乗 - 戦後は終わっていないと敗戦記念日に思う
  http://d.hatena.ne.jp/PreBuddha/20070815 

 残念ながら大岡昇平、まだあまり読み込んでいません。でもこの作家のかけがえのなさは自分の中で風化させたくありません。映画「ヒロシマナガサキ」も見ていません。残念です。


2年前のエントリ

 Munchener Brucke - 敗戦記念日
  http://d.hatena.ne.jp/kechack/20060815/p1

 ガラリアさん好き好き病更新履歴 - 敗戦記念日国民の休日に!
  http://d.hatena.ne.jp/garamani1983/20060815/1155654936