今の僕にブタとウシは殺せない

id:matcho226:20081006(僕に殺されたニワトリ)の続きです。


 僕の手によって食糧になったニワトリ。まずは毛をむしり取る。死んでから時間がたつと、むしるのが大変になるらしい。


 次に首と足を切断。熱湯をかけるか火であぶったが記憶が曖昧だ。その後解体。体の内部から湯気が放たれる。つい先ほどまで生きていた証だ。


 胸肉。もも肉。手羽肉。ササミ。ボンジリ。ハツ。レバー。砂肝。こんなに多種多様な食材が手に入るのかと改めて驚く。4人くらいで分けるのなら大層なご馳走になるだろう。


 ササミは新鮮なうちは生で食せるらしい。その場でわさび醤油で頂く。得も言われぬ思いだ。普段ものを食べるときにこの様な感覚を味わうことはありえなかった。


 本当は、肉は少し置いてから調理した方が肉自体が柔らかくなり旨みも増すらしい。しかしそのときはその場で焼いたりスープにしてしまった。普段食べている肉は何なんだろうというくらい旨みは少なく歯ごたえがあった。それでも感慨は深かった。
 大げさだが、自分自身が生まれ変わったようなインパクトが私には感じられた食事だった。楽しく食事ができることに感謝した。


 ひとつの命を絶つことで食糧を得る。それを体験できたことは、自分の中ではとても大きい体験だった。


 魚介類だって、植物だって同じ命だ。それは確かにそうだ。でも命を絶つための労力は決して同じではない。


 ニワトリは瞬きをするし表情があった。触れると暖かかった。死をどう受け止めているかが表情から読み取れてしまうのだ。畢竟こちらもそれ相応の心構えが必要だった。これがブタやウシだったらどうなるのか。


 ブタを殺す時に一番苦しませない方法は、心臓を突いて失血死させる方法らしい。しかしこれは(当たり前だが)ニワトリほど簡単ではない。しかもニワトリよりは暴れるし、苦しむらしい。


 本で調べたのだが、ウシは頭を銃で撃ち抜く方法しか分からなかった。銃って・・・


 ニワトリの命をもらって得られたことの1つは、今の自分にブタやウシを殺すことは難しい事を、身をもって実感できたことだった。



関連リンク:生きるために殺す 自分の欲望で殺すid:matcho226:20081002