結局前に書いたことの繰り返し?ただし名言付き。

 はてな匿名ダイアリー もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに 
 http://anond.hatelabo.jp/20080824041507 について前回書ききれなかったことをもう一度。
 (前回:先生への要求は果てがない id:matcho226:20080824)
 
 前回は増田さんの考えについて主に納得いかないことを中心に述べた。
 公と私は同じ価値観で考えることはできないと思うからだ。
 「私」は経済合理性で動いている。金さえ払えばどんどん上質な教育を与えてくれる。マンツーマンで教えることもできる。この「私」の理屈を当たり前のように「公」に当てはめる議論が当たり前のように横行している。
 
 「それでいいのだろうか。」と言いたかった。

 
 
 しかし一方でこうも思う。
 山本五十六の名言「やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ」は真理なのだろう。そこが増田さんの訴えの悩ましいところだ。


 やはり解決するためには、教育財政の負担増しか無いような気がする。

論理も感情も使いよう

 理屈っぽいと嫌われる理由(個人的)まとめ id:matcho226:20080821
を書いた後で、自分の心の中で小骨が引っかかって取れない気がするのはなぜだろうと考えていた。

 特に、そこで言及した『「理屈で相手より優位に立とうという姿勢が癇に障る」のは納得できない』という考え方について、自分の中に矛盾があった。考えてみると、私も人に論理で言い負かされた後に「上から目線」になられた場合、感情的にむかついてしまう気がしたのだ。

 しかし私はそれ以上に、感情を前面に押し出してくる主張が苦手だ。そこに論理性が備わっていたとしても、感情的になられるとどうして良いのか分からず、頭がショートしてしまう。
 だから感情を否定するあまり『「理屈で相手より優位に立とうという姿勢が癇に障る」のは納得できない』と書いてしまったのだ。

 自分の中にある矛盾をどうすればいいのか悩んでいたのだが、偶然見つけた本の中で考え方のヒントを見つけることができた。



 なぜ、上司は部下の揚げ足をとるのか! ISBN:4833418193

 この本では「ハーマンモデル」という考え方を紹介している。ある人間が、脳の4カ所のうちどの部分を使うのが得意なのかでその人の特質が分かると言うものだ。
 その4カ所とは、
  A:大脳新皮質(左)→ 論理的に考える
  B:大脳辺縁系(左)→ 秩序に乗っ取って考える
  C:大脳新皮質(右)→ 感情や対人関係を軸に考える
  D:大脳辺縁系(右)→ 想像や好奇心を軸に考える
  
 得意な場所を使うのはストレスがたまらないが、苦手な場所を使うのはストレスがたまるそうだ。そして主にAを使う人と主にCを使う人、主にBを使う人と主にDを使う人は相性が良くないと説明されていた。

 思い返すと私はAを用いた生活が日常の中心で、BとDはその時々で使っているという感じだった。論理そのものを否定する感情優位の主張法を苦手にしているのは、私がCの部分をほとんど使っていないからということになる。

 これを読んだとき「そうか、世の中には脳のCの部分を主に使って生きるタイプの人がいるのか。」と唖然とした。

 たとえが良いのか悪いのか分からないが、私の一番理解できない現象は、仲間同士の派閥やグループ抗争で自滅する組織(スポーツチームなど)だ。なんでもっと割り切れないのかいつも不思議だった。なによりその感情優先の行動自体が自分には不快だったし、理解できないところだった。

 しかし、Cの部分を使って物事を処理しようとしている人にとって見れば、そのようなことも必然なのかもしれない。またこのタイプの人は情にもろく、仲間意識を持ってもらったときは大きな力になってくれると記されていた。(この辺が私の認識で足りなかったところだろう。)

 自分自身の傾向を分かった上で、「論理は必ずしも受け入れられるわけではないではない」ことを、頭の片隅に入れておこうと思った。



10/7 追記
内容的に関連していると思う記事(下記参照)を読ませていただきブクマコメをしたので、その記事のリンクを張らせていただきます。
はてな匿名ダイアリー - なんか無性に腹が立ったとき
http://anond.hatelabo.jp/20081007043326
(これってマナー違反でしょうか?ググってみたのですが分かりませんでした。もしマナー違反でしたら、どなたか教えていただければ幸いです。)

先生への要求は果てがない

 はてな匿名ダイアリー もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに
 http://anond.hatelabo.jp/20080824041507
 
 はてブの反響の大きさに驚いた。
 


 子どもに答えられない質問をぶつけられて、先生が子どもを理不尽に押さえつけるのことがあるなら(あるのだろう。)それが良いとは決して思わない。

 また公立学校教師は、努力の有無に関わらず勤続年数で給与が決まるため、民間のような競争原理が働きにくいだろう。そこに問題がないとは思わない。



 しかし。
 
 シンプルに考えるなら、「先生」は音大生並の音楽的素養を身につけ、美大生並の美術の素養を身につけ、書道にも精通しつつ、陸上、体操、水泳、野球、サッカー、バスケ、バレー、ダンスなどの基本技術・技能を習得し、かつ指導法に精通しなければいけないことになる。

 (建て前では精通していることになっているのか?)

 (主要教科を押さえた上で)これらを達成するために必要な学習時間はいかほどか。目安として音大、美大、書道教室、各競技のスポーツスクールの時間を加算してみると良い。おそらく時間的に医大生を超えるだろう。

 費用はいかほどか。これも単純に音大、美大、書道教室、各競技のスポーツスクールの授業料を加算してみると良い。

 ともかく現在の教員を養成するシステムで上記のような人材は育成できていないと思うし、「先生」のスキル不足を問題とするのなら根本はそこだろう。



 担任制で難しいのなら、技能教科のみ専任の教師にしてみる。これには、1学年1クラスの学校1つあたり、4〜5人の増員が必要だろう。
(音楽図工各1人、体育2〜3人)
 しかし現在、文科省が数校に1人程度の教師を増員する為の折衝すら難航する有様だ。
 (教師の数は、教師の給料を全額ではないが国が負担しているため、その学校規模に応じて国によって定められていると考えて良い。)


 MSN産経ニュース 文科省VS財務省 教職員増員めぐってバトル
 http://sankei.jp.msn.com/life/education/071114/edc0711141827002-n1.htm


 もし、市が独自で教員を雇おうとすると、財政状況によりまちまちだが、(あくまで目安として)歳出総額が5%程度は増えると思う。(ざっと1人あたり年間10万円程度)

※ 市の労働人口5000人。市の財政規模200億円。教員を40人、1人1000万円(社会保障込み)で雇うとする。上記の仮定は、以上の数字を基に試算しました。かなりおおざっぱな計算です。

 または、今の教員の年収を一律で約2割カットすれば、上記の規模の増員を図れるかもしれない。どちらにせよ今の自民党政権では実現できないだろう。
 
 
 我々は、より質の高い教育を子供に受けさせることができるのなら、年間で10万円の増税を受け入れることができるだろうか?
(おそらく全て民間に任せたら質はぐんと高まると思うが、金額は2倍近くかかると思う。)



 現状で良いとは私も思わないが、ただ単に教師を責めるだけだとか、この状態を嘆くだけでは何も変わらないと思う。


 問題の本質をもっとえぐっていきたいのだが、ここから先の文を書く力が今の自分にはないので、他の方のお知恵を貸していただこうと思う。


 津久井進の弁護士ノート 教育はサービス業ではない より引用
 http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-612.html

■学校の問題点を検討することもそれが改善につながれば結構なことであるし,
■消費者主権(≒国民主権)の意識が高まることも,それ自体は結構なことである。
■それから,国民が,行き過ぎた構造改革格差社会化にNOを突き付けるのも,それ自体,たいへん結構なことだろう。

 ならば,「たいへん結構なこと」が連なると,どうしておかしくなるのか?
 その矛先がどうして「教育」に向けられるのか?
 多くの人々が,「教育」を,「サービス業」だと勘違いしているからではないか。

 「教育」は,私たちの社会,私たちの未来,そして,私たち自身をかたち作る,とても大切な機会(場)である。
 憲法に照らして見てみれば,
   「教育」は,
     私たちの個人の尊厳を育み,
     私たちの立憲民主主義を支えるために,
絶対に欠かせない営みである。

 これ以上に「公(おおやけ)」の名がふさわしい業(わざ)があるだろうか。

 私は,この「教育」に携わっている「学校」や「教師」を大事にせず,民間サービスと同視してきたことが大きな過ちだったと思う。

 この津久井さんの考えには私はうなずける部分が多い。
 今回は今まで以上に、自分の考えが充分に表現できなかった思いが強い。
 それでも、私は「公」については、これからも考えを巡らせていきたいと思っている。

理屈っぽいと嫌われる理由(個人的)まとめ

 「理屈っぽいと嫌われるよ。」と人に言われることがある。
 分かる人にはなんてことのない話だと思うが、言われている本人は、自分のことだからなおさら分かりにくい。そこでなぜ理屈っぽいと嫌われるのかググってみたので、それをまとめてみた。

  • 一般論として、話をする人より話を聞いてくれる人の方が親近感はわく。

(・ω・`)ショボーン

  • 難しい言葉が入ると内容が分からなくなるから。
  • 長い時間人の話を集中して聴くのは単純に疲れるから。

(゜д゜;)ギクッッ!!!!!!

気をつけねば。


  • 無意識に正しいと思っていた考えや価値観を覆されるから。
  • 理屈で言い負かして相手より優位に立とうという姿勢が癇に障るから。

(・л・`)
  これは前述のような、こちらが気をつけるだけで良いようなものとは違う気がする。
 「窮すれば変ず、変ずれば通ず」というが、逆に行き詰まっていなければ(現状で良いと思っているならば)変わろうとしない人間も多くいるのだろう。それより面子を潰される事の方がよっぽど恨めしいのだ。


 自分のことを分かってくれる味方もいるし、わかり合えない人もいるという当たり前の前提に立って、つまらないことでいらない怒りを買わないことが大切なのだろう。私は鈍い方なので、結構苦手だ。

3日遅れの「敗戦記念日」に寄せるエントリ

 いつもは自分が世の中で?と考える部分について書くことの多いこの日記だが、敗戦に思いをはせ、戦前の日本と今の日本について少し思いを巡らせてみたい。


 大量の赤字国債を抱えているとはいえ、今の日本は世界の中で指折りの豊かな国に発展することができた。
 焼け野原で都市が壊滅し、これといった資源もなく、人口過多でその日の食うものにも困っていた国がである。
 それが一時とはいえ、戦勝国アメリカの経済を大いに脅かし、そのプライドをズタズタにするほどの勢いで復興した。


 戦前の日本経済はどうだったであろうか。今家庭にある物のほとんどが、何にもなかった。松下幸之助さんの二股ソケットが大きな感動を与えてくれた時代だ。東名も、トランジスタラジオも、ボンカレーもない。ましてや霧ヶ峰エスティマハイブリッドも、はてダもgoogleストリートビューも、iPhonePSPもない。今ある物がほとんどない。
 食べ物は配給制だ。腹が減ったからコンビニに行こうと深夜にふらつくどころか、そもそも金がないし、あっても売ってもらえないことすらあっただろう。北朝鮮と何が変わるのだろう。
 それが今や世界中から食料を買いまくり、マック、牛角、スシローに幸楽苑と家族で出かけ、貧しい国々を尻目に多くの食べ物をゴミとして捨てている。正に隔世の感だ。


 今は言論の自由が大部分保障されている。いくら福田総理の悪口を言っても、牢屋にぶち込まれる事はない。しかし戦前、体制批判は非国民とののしられ、人権もへったくれもなかった。くどいが、北朝鮮と何が変わるのだろう。


 全人口に対する選挙権を持つ人の比率は、第一次世界大戦後に20%に引き上がったものの、それまでは約5%。この国に市民はいなかった。いたのは権力者と臣民だ。

 赤紙が来れば戦場行きだ。連れて行くだけ連れて行きろくな補給もしてもらえず衰弱し犬死にした兵士。圧倒的な戦力の差を感じながら神風特攻隊で散っていった若い命。竹槍で一億総玉砕の一歩手前までいった。


 歴史のifを考えることは必要かもしれない。しかしそれと同じくらい、現実を見据えることも大切だろう。
 現実。人権が等しく認められ、つっこみどころは多々あるが、平和国家として国民が戦争に参加せずに繁栄を築き、63年目を迎えることができた。
 そして悲しいことに、それは僕たちの先人(決して権力者側ではない)が、同胞200万人の屍の上に勝ち取った日本国憲法のもとに築いたものなのだ。

 
 忘れてはいけないこと、振りかえらなければならないことを知ってこそ、未来に向かって歩いていけるのだろう。


 僕たちは、敗戦をまだまだ振り返り足りないのかもしれない。



※このエントリは以下のエントリを参考に書かせていただきました。

今年のエントリ

 ぢーぢの日記 - 敗戦記念日
 http://d.hatena.ne.jp/ikutayasuhiko/20080815

1年前のエントリ

 思考の種子 Une germe de la pensée - 敗戦記念日に寄せて
  http://d.hatena.ne.jp/ohsuminaoto/20070815/1187170507
 
 整腸亭日乗 - 戦後は終わっていないと敗戦記念日に思う
  http://d.hatena.ne.jp/PreBuddha/20070815 

 残念ながら大岡昇平、まだあまり読み込んでいません。でもこの作家のかけがえのなさは自分の中で風化させたくありません。映画「ヒロシマナガサキ」も見ていません。残念です。


2年前のエントリ

 Munchener Brucke - 敗戦記念日
  http://d.hatena.ne.jp/kechack/20060815/p1

 ガラリアさん好き好き病更新履歴 - 敗戦記念日国民の休日に!
  http://d.hatena.ne.jp/garamani1983/20060815/1155654936

政治家は当選のためなら目くらましを使うらしい

 小泉内閣が行った改革のシンボルともいえる「郵政民営化」は、結果が良い方向に実を結ぶかが現段階ですら評価できないほど影響の及ぶ範囲が複雑だ。(私もそうだが)内容を充分に理解しているとはいえない人が多いのではないだろうか。しかしそのような政策でも、国民は圧倒的な支持をした。

 ついこの前までは「改革」という言葉(または小泉純一郎)そのものに、世の中が良くなり明るくなるイメージがあったということだ。

 しかし小泉内閣は「郵政民営化」の裏で数多くの政策を行った。景気対策優先(財政赤字拡大)。ブッシュ追随外交。三位一体の改革道路公団民営化。高所得者優遇政策。金融再生プログラム(竹中プラン)。良いものもあれば、首をかしげるものもあったと思う。

 「改革」と呼ばれるものすべてが良いものではなく、意味のある改革、効果がなかなか出ない改革、骨抜きなもの、改悪と様々であることがはっきりしたのだ。

 先日、自民党伊吹文明さんが「選挙に勝とうと思うと一種の目くらましをやらないとしょうがない。」と発言し波紋を広げた。政治が良くなるためには国民が本物の改革と贋物を見抜き、政治家の本音を見抜く眼力が必要であることの証左だ。

 今は与党が劣勢だが、民主党はかつて小泉さんが行ったように、政策を単純化・美化して表現する傾向があるし、インパクトを持たせるために大風呂敷を広げている様に感じる。しかし、実際にどのような政策をどの程度実現できるのかは未だ不透明感が強い。霞ヶ関を完全に敵扱いして政策を実行するだけの法改正・運用ができる力があるのかも疑問だ。

 それでも、自民党の独裁体制ではあらゆる所に制度疲労が生まれ、権力が腐敗していることも事実だろう。今の自民党では財政赤字拡大路線から脱却することは難しいと思う。(つまり、これからも国の借金は増えていく。)


 改造福田内閣が何ができるのかは分からないが、甘い蜜や目くらましに騙されることだけはないようにしたいものだ。

日本サッカーは強くなれるのか

 反町ジャパンが北京オリンピック予選リーグを敗退した。
 
 アナウンサーや解説者が多用するフレーズに「負けられない戦いがここにある」「勝てると信じている」というものがある。負けられないのはどのチームも一緒だ。勝てると信じている根拠が分からない。期待させて結果が伴わないので余計にがっかりさせられる。

 日本サッカーは決して強くない。率直に試合を見れば、普通そう感じるだろう。それでも無邪気に勝利を期待してしまっては、なぜ勝てないのかを考える機会が希薄になってしまうのではないだろうか。信じるだけで勝てれば苦労はしない。神風でも吹くと思っているのだろうか。

 特に見てて感じるのは「押しているけど点が入らず」、「そのうちカウンターで失点」だろう。しかしテレビの実況を聞いていると、たいてい押していることを前向きにとらえている。

 あまり詳しいことは分からないが、(結果的に)サイドバックが攻めの要としてゴール前までえぐっていく以外に、決定機をつくるパターンが選手間にビジョンとしてイメージできていないように思える。

 ディフェンスを見ていると、失点しているほとんどのケースで、(シュートを打つ)相手選手をドフリーにしてしまっている。

 日本人は和を重んじることをすり込まれているので、綿密に意思疎通をしなくてもある程度は阿吽の呼吸で仕事をこなせてしまう。また「沈黙は金」という格言があるように、従順で大人しいことが美徳となる国である。したがって、自分の考えを主張する力は育たない。これが仇になっているように思う。

 流れのある集団競技で相手の守りをこじ開けるのは、それこそ針の穴に糸を通すようなものだろう。そこで意見を戦わせることをためらい、妥協する風土を断ち切らなくては、日本サッカーの発展は遠い先の話ではないだろうか。

 サッカーは魅力にあふれる競技だと思う。練りに練った戦術でスター軍団をも負かすことができる。圧倒的な身体能力で奪うゴールもある反面、決して体格に恵まれないチームがチャンピオンになることがある。

 自分たちの持ち味を自分たちで見いだし、それを最大限引き出したとき、運命の女神の祝福を受けるチャンスが巡ってくる。

 あれだけ長い間結果を出せなかったスペインが、自分たちのスタイルを貫いてユーロで結果を出したことには、大きな感動を覚えた。日本はまだスタイルを模索している段階だ。

 意見をどんどん戦わせるべきだと思う。レベルの低い実況には辟易だ。ダルビッシュに投げさせれば左うちわで見ていられる野球のようにはいかないのだから。